寄港地を繋ぎ、ご縁を繋ぐ、地域創生プロジェクト 現代版北前船プロジェクト®とは

Project Concept

現代版北前船として…

「海のある港町を元気に」

各地の多様な文化や食をつなぎ、その時代を豊かにした北前船。
今、「歴史と文化」「人と人」を繋ぐ、現代版の北前船を蘇らせようという夢のあるプロジェクトに取り組んでいます。
北前船ゆかりの寄港地を中心として、歴史と音楽講演会、各種ワークショップ、観光振興事業を行っています。2010年から、海と海洋史をテーマとした体験観光コンテンツづくり、歴史講演会など、文化交流事業の取り組みをしています。

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About us

運営事務局
(一社)現代版北前船プロジェクト® 理事長
明楽みゆきの写真

AKERA Miyuki

明楽みゆき

京都生まれ。大阪音楽大学音楽学部卒業。同専攻科修了。大学講師を経て現在全国でフリー活動。V.マルグリス氏(独・フライブルク音楽大学)に師事しアーティストディプロマ取得。多数の国内外音楽祭に出演し、好評を博す。時計台ニューイヤーシリーズのプロデュース、朗読とチェンバロ即興演奏による公演、全国各地の美術館にてコンサートを開催。ロシアにて札幌市姉妹都市調印式での演奏、イタリアにてバチカン・日本友好75周年記念コンサートに出演。読売24時間テレビ京都会場のメインアーティストとして募金支援コンサート開催。
東日本大震災の遺児基金「みやぎこども教育基金」に収益を全額寄付のため、CD「音楽の花束」vol.1 vol.2 リリース。
全国のコンサートホールを始め、北海道神宮、小樽住吉神社、小樽能楽堂、国宝瑞龍寺(富山)、国宝勝興寺(富山)、住吉大社(大阪)、国宝建仁寺(京都)、世界遺産天龍寺(京都)、名古屋城、熱田神宮(名古屋)など、全国各地の歴史遺産にて公演。

五代前の先祖が近江商人で千石船の船主であった事に由来して「現代版北前船プロジェクト®」を2010年に創設。北前船の発信のため、2015年よりFMラジオ「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」にて、音楽と歴史を楽しむ1時間番組を毎週提供。
2021年よりオンライン北前船番組「明楽みゆきの浪漫紀行〜北前船を巡る喜び〜」を毎月配信。
青淵渋沢栄一翁顕彰会「忠恕一貫賞」受賞。現在は大学特任教授として後進の指導にも邁進中。 北海道大学総合博物館市民セミナー講師。札幌市民芸術祭大賞受賞。
(一社)現代版北前船プロジェクト® 副理事長
鎧啓記の写真

ABUMI Keiki

鐙啓記

1953年秋田県飯田川町(現。潟上市)生まれ。秋田市在住。
元無明舎出版編集長、元秋田県広報誌「のんびり」プロデューサー。現在、特定非営利法人東北みち会議理事長(仙台市)、東北「道の駅」連絡会事務局長(仙台市)、(一社)現代版北前船プロジェクト副理事長(札幌市)、合同会社あきた地域資源ネットワーク代表(秋田市)、羽州街道交流会代表幹事。

北前船の寄港地約180か所を調査取材して表した『北前船~寄港地と交易の物語~』を2002年に出版。現在も調査を継続し、各地の北前船関係者と交流を行っている。

また、東北170か所の「道の駅」が加盟する東北「道の駅」連絡会事務局長として、「道の駅」の活性化、協働事業の推進のほか、羽州街道、奥州街道をはじめとした東北各地の街道を使った活動、イザベラ・バードが書いた『日本奥地紀行』に関わる調査活動を行っている。

主な講演テーマは北前船、羽州街道、奥州街道、イザベラ・バード、道の駅などで、東北だけでなく全国各地で講演やシンポジウム参加多数。主な著書・編集・出版企画に『北前船~寄港地と交易の物語~』『北前船おっかけ旅日記』『東北の街道』『奥州街道』『羽州街道をゆく』『戊辰戦争とうほく紀行』『東北ふしぎ紀行』などがある。

What is..
“KITAMAE-BUNE”

北前船とは

「 “一攫千金” を狙って、危険な航海に挑む北前船主」

江戸時代から明治時代にかけて北海道と京都、大坂などを日本海回りで結び、近世物流の大動脈を担った「北前船」。 日本海の各港に寄港し、買い積み商法(ノコギリ商法)と呼ばれる新しい形態の商売を確立していきました。いわば、動く総合商社です。日本海側の各港は、その交易で大きな賑わいを見せたのです。

成功すれば莫大な利益を生みますが、失敗すれば大損。さらには遭難すれば命の危険にさらされ、「板子一枚下は地獄」といわれる危険な航海に挑みながら、新しい時代を築きあげました。
大坂の湊からは、鮭、塩、米、木綿、京都の反物及び各地の特産物、特に明治以降は開拓間もない北海道の生活必需品全てを運び、北海道からは、鰊、鮭、昆布などの海産品が運ばれました。
特に春、日本海沿岸にやってくる鰊は、当時本州において多量の肥料を必要とした綿花などの商品作物が普及するにしたがって、〆粕(魚肥)として大量に消費されました。この良質な魚肥の需要は、幕末から明治中期まで増大し、北前船最大の交易品となりました。

こうして日本海の各港は、北前船交易で賑わい、食はもちろんのこと嗜好品、民謡、言葉などといった北前船が運ぶ新しい文化の風に人々は心を躍らせました。明治時代中期になり、汽船の発達や鉄道網、通信の普及など近代化の波に飲まれ、1880年ごろから急激に衰退しましたが、その足跡は現在も日本海沿岸の港に息づいているのです。

船