自然布から紐解く日本の織物文化史 〜樹皮から絹織物まで〜

2024/08/02(金)

日本の織物文化の奥深さを探る

日本の織物文化は、古くから自然素材を活かして発展してきました。私たちが普段身につけている衣服も、歴史をさかのぼると、木の皮や蚕の繭から作られた布にたどり着きます。今回は、明治大学獅子狛犬研究所の研究員であり、自然布研究家として活躍する中森あゆみさんに、日本の伝統的な織物文化についてお話を伺いました。

研究のきっかけは「蚕の神様」

中森さんが自然布の研究を始めたのは、狛犬の研究をしていたときに出会った「蚕の神様」の石仏がきっかけでした。「この石仏を見たとき、当時の人々がどんな衣服を着ていたのか気になったんです」と中森さん。その疑問から、樹皮を使った織物など、日本に古くから伝わる布づくりの技法に興味を持つようになったそうです。

樹皮から布を作る技術とは?

日本には、木の皮を利用して布を作る伝統的な技術が存在していました。特に、コウゾ(楮)やシナノキの内皮を加工して織物を作る手法が広く知られています。

樹皮布の作り方

  • 内皮の採取:木の皮の内側にある柔らかい部分を取り出します。
  • 繊維の処理:それを細く裂き、発酵させたり叩いたりして柔らかくします。
  • 糸状に加工:繊維を糸のように細くして、織るための素材を作ります。
  • 織る:伝統的な織機を使い、布にしていきます。

原始的な織機「腰機(こしばた)」とは?

布を織るための道具にもさまざまな種類があります。その中でも、特に古い織機が「腰機(こしばた)」です。腰機は、織り手が自分の体を使って糸の張り具合を調整しながら布を織るシンプルな織機です。現在でも「結城紬(ゆうきつむぎ)」などの伝統的な織物には、この技法が使われています。手作業ならではの風合いがあり、高度な技術を必要とする織り方です。

日本の絹織物産業の発展

絹織物といえば、艶やかな着物の生地を思い浮かべる人も多いでしょう。日本の絹産業は、明治時代に大きく発展しました。

当時、中国やヨーロッパでは蚕の病気が広がり、絹の生産が難しくなっていました。そんな中、日本の絹が世界的に注目されるようになりました。

富岡製糸場と近代化

日本の絹産業発展の大きな転機となったのが「富岡製糸場」の設立です。実業家・渋沢栄一らの努力によって、日本に最新の製糸技術が導入され、大規模な生産が可能になりました。これにより、日本の絹織物は国内だけでなく、海外にも広がっていきました。

織物技術の伝播を支えた「北前船」

日本の織物技術の発展には、物流の進化が大きく影響を与えました。江戸時代から明治時代にかけて、日本海を航行した「北前船」は、織物の技術や材料の流通を支える重要な役割を果たしました。

北前船の航路を通じて、各地の織物技術が交換され、日本全国で新たな織物文化が育まれました。例えば、西陣織(にしじんおり)や結城紬(ゆうきつむぎ)など、地域ごとに独自の発展を遂げた織物の背景には、このような広範な流通ネットワークがあったのです。

伝統技術を未来へ

今回のインタビューを通じて、日本の織物文化がどのように発展してきたのかが分かりました。樹皮を使った布作りから、絹織物の産業化まで、日本の織物技術は時代とともに変化しながら受け継がれてきました。

中森さんのような研究者の活動は、失われつつある伝統技術を保存し、次世代に伝えていくためにとても重要です。私たちも、普段身につけている布のルーツを知ることで、日本の文化にもっと興味を持つきっかけになるかもしれません。

関連リンク

※写真は蚕の神様の像「蚕守護神」(長瀞町/岩根神社の蚕神像 | カイコローグより引用)