塩の道と北前船:長者ケ原考古館で知る糸魚川の交易史

2024/09/20(金)

新潟県糸魚川市は、長い歴史と豊かな文化を持つ地域です。縄文時代から人々が暮らし、翡翠の交易拠点として栄え、江戸時代には北前船の寄港地としても重要な役割を果たしてきました。

今回は、長者ケ原考古館の学芸員 山岸洋一氏に、考古館の魅力とともに、糸魚川の歴史的背景や文化についてお話を伺いました。

長者ケ原考古館とは

新潟県糸魚川市にある長者ケ原考古館は、縄文時代の遺跡である長者ケ原遺跡のガイダンス施設として建てられました。遺跡は糸魚川駅から約23キロ南の山の中腹に位置しており、縄文時代中期の集落跡や石窯、翡翠の玉の生産・交易拠点として知られています。特に翡翠は糸魚川の特産品であり、古くから装飾品として珍重されてきました。

北前船と糸魚川の交易

糸魚川市は、北前船の交易によって栄えた地域でもあります。江戸時代、この地域を治めていた糸魚川藩は1万2000石という小規模な藩であり、通行税が大きな財源となっていました。北前船で運ばれた物資は糸魚川の港で陸揚げされ、一部は松本藩へと運ばれていました。その際、関所での通行税が課されていたのです。

険しい道を越えた「塩の道」

特に重要だったのは「塩の道」です。塩は内陸部では貴重な資源であり、糸魚川から松本への主要な交易品でした。険しい山道を人や牛の背で運ばれ、松本藩では糸魚川の塩しか購入を許可しないという政策をとっていたことから、糸魚川藩の商人は大きな利益を得ていました。しかし、信州の商人たちは通行税の負担を軽減するために他の地域からの安価な塩を導入する工夫をし、両者の間で激しい商売競争が繰り広げられていました。

陶磁器と交易の足跡

北前船によって糸魚川には九州からの陶磁器も多く運ばれてきました。特に唐津焼や伊万里焼はこの地域で人気があり、当時は陶磁器を扱うお店を「唐津屋さん」と呼ぶなど、人々に親しまれていました。こうした交易の痕跡は、現在でも発掘調査で多く見つかっています。

船の安全を願う文化

北前船の航海安全を祈願するため、糸魚川の神社には船絵馬が奉納されるなど、海運と深く関わる文化が残っています。中には、尾道から運ばれた御影石で作られた鳥居や手水鉢、狛犬なども見られ、広範囲にわたる交易の証となっています。

特別展「糸魚川を旅立ったヒスイ」

現在、長者ケ原考古館では、翡翠の特別展を開催予定です。通常、良質な翡翠は外部から見つかることが多く、地元での展示が難しいこともありましたが、今回は北海道から翡翠を借り受け、より充実した展示を行う予定です。

※2024年10月5日〜12月1日で開催

糸魚川の歴史と文化を訪ねて

糸魚川は、縄文時代から江戸時代にかけての歴史が色濃く残る魅力的な地域です。北前船の交易ルートや塩の道など、歴史好きにはたまらないスポットが満載です。ぜひ訪れて、糸魚川の歴史と文化に触れてみてはいかがでしょうか。

ゲストプロフィール

山岸洋一(やまぎし よういち) 新潟県糸魚川市の長者ケ原考古館 学芸員。考古学を専門とし、主に縄文時代に関する研究を行っている。翡翠の歴史や交易の研究にも力を入れており、地域の歴史を広める活動を続けている。

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