港町新潟と北前船 〜江戸時代の繁栄を支えた港町の歴史〜
新潟市歴史博物館みなとぴあは、新潟の歴史を知ることができる貴重な施設です。江戸時代、新潟町は北前船の寄港地として大きく発展し、商人たちの活気あふれる町として栄えました。本記事では、新潟市歴史博物館の学芸員・安宅俊介氏に、江戸時代の新潟町の特徴や北前船との関わりについて伺いました。
新潟市歴史博物館とは?
新潟市歴史博物館は、かつての新潟市役所を模して建てられた歴史的建造物です。佐渡汽船の発着所の目の前に位置し、港町としての新潟の歴史を伝える展示が充実しています。「みなとぴあ」という愛称は、「港(みなと)」と「ユートピア」を組み合わせたもの。常設展示では「郷土の水と人々のあゆみ」をテーマに、新潟の人々と水の関わりを紹介しています。
企画展も年に約5回開催されており、2024年には開館20周年を記念して北前船をテーマにした特別展「北前船と新潟ー廻船と日本海海運の時代ー」が実施されました。ここでは、北前船が運んできた品々や、船乗りたちが神社に奉納した絵馬などが展示され、当時の貿易や文化の交流の様子が分かるようになっています。
江戸時代の新潟町とは?
江戸時代、新潟町は「商人の町」として栄えました。城下町ではなく、商業を中心に発展した町で、特に北前船の貿易によって大きく発展しました。
特徴的なのは、町の造りです。新潟町では、細長い町屋が通りに面して建てられ、裏側には物流に便利な堀がありました。この堀を利用して、商品が船で直接運ばれていました。また、幕末には新潟町の人口が約3万人に達し、当時の日本でも有数の商業都市でした。
北前船と新潟町の関係
北前船は、大阪と北海道を結ぶ海運ルートを持つ商船です。新潟港はその重要な寄港地の一つでした。新潟からは、米、酒、焼酎、大豆、麦などが出荷され、北海道からは海産物、広島や山口からは塩、京都からはお茶が運ばれてきました。
さらに、新潟では輸入した資源を活用した加工業も発展していました。例えば、島根県石見地方から運ばれてきた鉄を使って鍋や釜を作る技術が発展し、これが地域の産業として根付いていきました。
現代に残る江戸時代の面影
現在の新潟市には、江戸時代の町割りや歴史的建造物が残っています。その一つが、日本遺産の構成文化財にもなっている「旧小澤家住宅」です。ここは、当時の北前船の廻船問屋(海運業者)の邸宅で、商人たちの暮らしや取引の様子を知ることができます。
また、新潟町は信濃川と阿賀野川の河口に位置し、その地理的特性を活かして発展してきました。現在もその地形は変わらず、かつての繁栄を感じることができます。
おわりに
新潟町は、江戸時代に北前船の寄港地として大きく発展しました。その歴史は現代の新潟市にも息づいており、港町としての文化が今も残っています。新潟市歴史博物館みなとぴあでは、こうした新潟の歴史を学ぶことができるので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?
ゲストプロフィール
安宅俊介(あたか しゅんすけ)氏
新潟市歴史博物館学芸員。専門は江戸時代史。当初は農村研究から始め、現在は港町研究を中心に活動している。2020年には日本遺産オンラインセミナーにて「北前船の寄港地と船主集落」をテーマに講演を行うなど、地域の歴史・文化の発信に尽力している。
関連リンク
※北前船で活躍した廻船問屋の一つ旧小澤家住宅(写真)

