環境人類学が紐解く阿波の歴史:北前船と世界農業遺産がつなぐ徳島の物語

2025/01/31(金)

徳島県は、日本の歴史や文化と深い関わりを持つ地域です。特に、北前船や世界農業遺産の視点から見ると、その重要性がより明確になります。今回は、環境人類学博士であり、徳島県立鳴門渦潮高校社会科教諭の林博章先生に、忌部一族の歴史や徳島の伝統農業、北前船とのつながりについて伺いました。

人と自然の関わりを探る環境人類学

林先生は、古代史を研究する中で、特に忌部一族の歴史を20年以上にわたって調査してきました。忌部一族は、農業や織物、製紙技術を発展させ、日本各地に文化を広めた人々です。その足跡をたどるうちに、徳島の剣山系の山間部で受け継がれる伝統農業に関心を持ちました。人々が自然と共生しながら暮らしを築いてきた過程を研究する中で、歴史と環境のつながりを探る「環境人類学」という新たな視点が生まれました。

忌部一族とは?

忌部一族は、古代日本で麻織物や紙の技術を発展させた人々で、吉野川流域から関東へ移り住み、現在の千葉県南部にもその影響を残しています。天皇の即位儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」で使われる「麁服(あらたえ)」という麻織物を作る技術を持ち、農業や織物の技術を関東一円に広めました。その名残として、千葉県南部には「安房(あわ)」という地名や安房神社が今も残っています。

世界農業遺産に認定された徳島の農業

林先生は、2018年に国連食糧農業機関(FAO)が認定した「にし阿波の傾斜地農耕システム」の原案を作成し、その実現に貢献しました。徳島の山間部では、急斜面を活かした伝統的な農業が受け継がれています。この農法は持続可能な農業システムとして評価され、8年に及ぶ取り組みの末、世界農業遺産に認定されました。

北前船と徳島のつながり

江戸時代から明治時代にかけて、日本海を中心に活躍した北前船。徳島の撫養(むや)湊は、近畿・瀬戸内地方と関東・東北を結ぶ重要な港でした。特に、藍染めの原料「阿波藍(あわあい)」は北前船によって全国へ運ばれ、「ジャパンブルー」として世界的に知られるようになりました。

徳島から全国へ届けられた特産品

徳島の特産品は、北前船を通じて全国へ広まりました。

  • 藍(あい):染料として全国に広がり、日本の伝統色「ジャパンブルー」の象徴に。
  • 和三盆糖(わさんぼんとう):なめらかな口当たりの高級和菓子用の砂糖。
  • 塩(しお):瀬戸内海沿岸で生産され、全国へ供給。
  • 煙草(たばこ):江戸時代には貴重な特産品。

また、北海道から運ばれた「鰊粕(にしんかす)」という肥料を活用することで、藍の生産量が大きく増えました。このように、徳島は北前船を通じて全国とつながり、経済的にも発展を遂げました。

徳島藩の実力

江戸時代、徳島藩の公式な石高(こくだか)は25万石とされていましたが、実際には北前船の貿易で50万石以上の経済力を持っていたといわれています。これは、藍や和三盆糖といった特産品の輸出によるもので、徳島が商業的にとても豊かだったことを示しています。

まとめ

林先生の研究から、徳島が日本の文化や経済に果たしてきた重要な役割がわかります。忌部一族の技術伝播や世界農業遺産の伝統農業、北前船を通じた全国との交流など、徳島は歴史の要所でした。

今後は、鳴門の撫養湊の日本遺産認定を目指し、北前船の歴史をさらに掘り下げる動きが進んでいます。徳島の歴史を学ぶことで、日本の伝統文化の価値を改めて考える機会になるでしょう。

ゲストプロフィール

林 博章(はやし ひろあき)先生
環境人類学博士。徳島県立鳴門渦潮高校社会科教諭。古代史を専門とし、特に忌部一族の研究に20年以上従事。徳島の剣山系における伝統的な農業システムの研究を通じて、2018年に世界農業遺産の認定に貢献。ハワイ大学との連携により、環境人類学の確立にも取り組む。著書に『東西海運の結節点、鳴門“撫養湊”を北前船の日本遺産へ』がある。

関連リンク