世界農業遺産と北前船の港町 ー 徳島・鳴門の歴史と未来を語る

2025/02/21(金)

徳島の歴史と文化の魅力

徳島県は、美しい自然と豊かな文化が息づく土地です。特に、剣山系の独特な農業システムが世界農業遺産に登録されたことや、かつて北前船の寄港地として栄えた撫養湊(むやみなと)の歴史的価値は、多くの人々に伝えたい大切な文化遺産です。

今回は、環境人類学博士であり、徳島県立鳴門渦潮高校社会科教諭の林博章先生に、これらの魅力について詳しくお話を伺いました。

山の上で営まれる独自の農業システム

徳島県の美馬市・三好市・つるぎ町・東みよし町に広がる剣山系では、五合目以上の急傾斜地で棚田や果樹園、茶畑が営まれています。徳島平野の人々は、この山の上の集落を「ソラ」と呼んでいました。

最大35度もの急斜面を活かし、茅(かや)を畑に入れて土壌の流出を防ぎながら、肥料としても活用するなど、先人の知恵が受け継がれています。茅場は山菜や薬草の宝庫であり、多様な農作物が適した環境で栽培され、自然と調和した農業が営まれてきました。

こうした独自の農業システムは長い歴史を持ち、世界農業遺産にも登録されています。

北前船と撫養湊の重要性

かつて日本海を中心に活躍した北前船は、全国各地の港を結び、多くの物資を運びました。その中でも撫養湊は、大阪や江戸へ向かう際の重要な寄港地として栄えていました。

撫養湊には多くの廻船問屋が集まりました。中でも撫養斉田村(むやさいたむら)の豪商・山西家は、塩問屋として始まり、やがて全国規模のネットワークを持つ総合商社のような存在へと発展しました。徳島の特産品である藍や和三盆を全国へ輸出し、蝦夷地(北海道)からは鰊粕(にしんかす)を仕入れるなど、広範囲にわたる交易を展開しました。

鳴門海峡と船の航路

鳴門海峡は、世界三大潮流の一つに数えられるほど潮の流れが速いため、航行が非常に困難な場所です。そのため、北前船の船乗りたちは、小鳴門海峡を通り、安全な撫養湊へ入るルートを選んでいました。

さらに、北泊や撫養の入口には番所(見張り所)が設置され、船の安全な航行を支援する役割を果たしていました。このように、鳴門の海と港は、当時の海運において欠かせない役割を果たしていたのです。

大谷焼と港町のつながり

港町として発展した徳島では、伝統工芸も栄えました。その代表が、大谷焼(おおたにやき)です。

約300年の歴史を持つこの焼き物は、特に藍染めに使う大きな甕(かめ)の製造で有名です。中には高さ1~2メートルにもなる甕もあり、全国に流通していました。

現在も、大谷焼は徳島を代表する伝統文化産業の一つとして受け継がれ、観光客にも人気の工芸品です。

未来へつなぐ文化遺産

徳島県の文化遺産は、世界農業遺産としての独自の農業システムや、北前船寄港地としての歴史的価値など、多岐にわたります。

林先生は、これらの価値を次世代へと継承し、さらなる発展を目指して研究と活動を続けています。今後、世界遺産登録を目指す動きもあり、徳島の歴史と文化はますます注目を集めるでしょう。

徳島の文化遺産に興味を持った方は、ぜひ実際に現地を訪れてみてください。歴史ある港町や、美しい山々の農業風景、伝統工芸の魅力に触れることで、徳島の奥深さを実感できるはずです。

ゲストプロフィール

林 博章(はやし ひろあき)先生
環境人類学博士。徳島県立鳴門渦潮高校社会科教諭。古代史を専門とし、特に忌部一族の研究に20年以上従事。徳島の剣山系における伝統的な農業システムの研究を通じて、2018年に世界農業遺産の認定に貢献。ハワイ大学との連携により、環境人類学の確立にも取り組む。著書に『東西海運の結節点なるとむや港 北前船の日本遺産へ』がある。

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