幕末の挑戦「大野丸」と越前大野城の物語 – 文化財を未来へ

2025/03/07(金)

福井県大野市は、「天空の城」として知られる越前大野城をはじめ、歴史と文化が息づく街です。今回は、大野市の学芸員・不二山あかりさんに、博物館の役割や幕末に大野藩が建造した西洋式帆船「大野丸」のエピソード、そして文化財を未来へと受け継ぐための取り組みについて伺いました。

大野市の博物館の魅力

大野市には、歴史を学べる歴史博物館と、暮らしの文化を伝える民俗資料館の2つの施設があります。

  • 歴史博物館: 縄文時代から明治時代までの歴史資料を展示しており、大野の成り立ちや発展を学ぶことができます。
  • 民俗資料館: 越前大野城の麓にあり、昭和30~40年代までに使用されていた生活道具や当時の写真を展示しています。特に注目すべき点は、この建物自体が明治時代に建てられた旧裁判所であり、市の文化財に指定されていることです。

越前大野城と大野藩の歴史

越前大野城は、織田信長の家臣・金森長近(かなもり ながちか)が天正3年(1575年)に築いた城で、同時に碁盤の目のような城下町を整備しました。この町割りや排水路は現在も残っており、歴史の名残を感じられます。

幕末になると、大野藩は財政難に陥ります。相次ぐ大火の影響もあり、借金が増えたため、7代藩主・土井利忠(どい としただ)は藩政改革を行いました。その一環として、煙草や生糸などの特産品の生産に力を入れ、また、これらを広く販売するために大坂(現在の大阪)や箱館(現在の函館)などに「大野屋」という藩直営の商店を展開しました。

西洋式帆船「大野丸」の誕生

そんな中、藩が新たな試みとして造ったのが、西洋式帆船「大野丸」です。安政5年(1858年)に建造され、主に蝦夷地(現在の北海道)開拓のための資材や人員輸送を目的としていました。

しかし、1864年、択捉島沖で座礁し沈没。その航海は長く続きませんでしたが、当時の大野藩がいかに新しい時代へ挑戦していたかを伝える貴重な歴史の証となっています。

現在、大野市歴史博物館には「大野丸」の10分の1スケールの模型が展示されており、その勇姿を垣間見ることができます。

文化財を守り、伝える

大野市の博物館では、指定の有無に関わらず市内の文化財を調査・保護し、貴重な歴史遺産を未来へと伝えています。

「文化財は、ただ保存するだけでなく、その価値を知ってもらうことが大切です」と不二山さん。展示や講座を通じて、多くの人に大野の歴史を身近に感じてもらえるよう、日々取り組んでいるそうです。

まとめ

越前大野の歴史は、戦国時代の城下町の整備から幕末期の西洋化への挑戦、そして現代の文化財保護に至るまで、多くの人々の手によって紡がれてきました。その貴重な歴史資産を守り、伝える博物館の活動は、これからも未来へ続いていきます。

ゲストプロフィール

不二山あかりさん
福井県大野市教育委員会生涯学習文化財保護課に所属し、学芸員を務める。仏像・彫刻を専門分野とし、市内の寺社における文化財調査や保護活動に従事。歴史博物館および民俗資料館の展示企画や資料管理を担当している。