【オンライン浪漫紀行】加賀百万石の経済を支えた海の豪商〜銭屋五兵衛

2024/06/16(日)

石川県には、日本の歴史に名を刻んだ豪商・銭屋五兵衛(ぜにやごへえ)の記念館があります。今回は、銭屋五兵衛の偉業や、記念館で見ることができる貴重な展示品について、「銭屋五兵衛記念館」学芸員の濱岡伸也氏に、お話を伺いました。

銭屋五兵衛とは?

銭屋五兵衛は、江戸時代後期に加賀藩(現在の石川県)の港町・宮ノ越(みやのこし)で活躍した商人です。彼は北前船(きたまえぶね)という船を使い、日本各地を巡りながら商売を拡大しました。

彼の肖像画は、裃(かみしも)と袴(はかま)を身につけた姿で描かれています。また、金沢市の「銭五公園」には、洋風のコートを羽織った銅像が立っており、その風格を感じることができます。

銭屋五兵衛記念館とは?

この記念館は、銭屋五兵衛の子孫が「銭五遺品館(せにごいひんかん)」として建てたのが始まりです。その後、平成9年(1997年)に「銭五顕彰会(せにごけんしょうかい)」という財団が設立され、現在の形になりました。

館内では、銭屋五兵衛の商いに関する資料や、当時の文化を伝える貴重な展示品が並んでいます。また、記念館の隣には、彼が暮らしていた家を移築した「銭五の館」があり、当時の暮らしを体感できます。

記念館で見られる展示品

北前船「常豊丸(じょうほうまる)」の模型

記念館の主要展示室には、銭屋五兵衛が関わった北前船「常豊丸」の4分の1スケールの模型があります。これは加賀藩が財政を支えるために建造した船で、その運用をすべて銭屋五兵衛が任されていました。

この模型の中に入ると、波の音や船の揺れを体感できるようになっており、まるで当時の船旅をしている気分になれます。

船箪笥(ふなだんす)

船箪笥とは、船に積むための特別な収納箱のこと。銭屋五兵衛の家紋「丸に橘(たちばな)」が金で施されています。外側は丈夫な槻(けやき)材で作られ、中は湿気に強い桐(きり)材が使用されています。

もし水に落ちても、桐材が膨張して隙間を埋めるため、中の書類が濡れない仕組みになっています。

「年々留(ねんねんどめ)」- 五兵衛の日記

銭屋五兵衛が25年間にわたって記録した日記「年々留」が展示されています。全180ページにもおよび、彼の商売の様子や、家訓、大切な取引先とのやり取りなどが詳細に記録されています。

この日記は県の文化財にも指定され、近年では書籍化もされています。

商いの航路図

展示室には、銭屋五兵衛がどのような航路をたどって商売をしていたのかを示す地図があります。

彼は、大阪から中国地方、瀬戸内海を通り、日本海側を北上して北海道まで商いを広げていました。能登半島(のとはんとう)は、航路的には遠回りになりますが、船乗りの名人が多く集まる場所として重要な拠点だったのです。

オランダ製の美術品

銭屋五兵衛は、西洋の美術品にも興味を持っていました。彼が購入したオランダ製のガラス製の灯台「阿蘭陀(オランダ)ギヤマ」の図面も残っています。実際に彼の描いた絵と、後に発見された実物が一致していたことに驚かされます。

銭五の館 - 五兵衛の暮らしを知る

記念館に隣接する「銭五の館」では、彼が実際に暮らしていた家が再現されています。館内には、囲炉裏(いろり)の間、畳の居間、仏間があり、当時の生活をリアルに感じることができます。特に夏は風通しが良く、涼しく過ごせる造りになっています。

また、館内には「拾翠園(しゅうすいえん)」という茶室も移築されており、春と秋に開催される「銭五茶会(せにごちゃかい)」で使用されています。

記念館周辺の楽しみ方

記念館は、大野湊緑地公園に隣接しており、春には桜が楽しめます。また、江戸時代の台場(大砲を設置するための土の堤防)が復元されており、当時の海岸線の様子を知ることができます。

自然豊かな環境の中で、歴史を感じながらゆったりと過ごすのもおすすめです。

石川県に訪れる際は、ぜひ「銭屋五兵衛記念館」へ足を運び、江戸時代の豪商の世界を体感してみてください!

ゲストプロフィール

濱岡伸也(はまおか のぶや)氏
石川県銭屋五兵衛記念館 学芸員