【オンライン浪漫紀行】いにしえの衣〜はた織りの美と進化〜
北前船と狛犬の意外な関係
北前船といえば、日本海を航行し、各地に貿易品を運んだ船として知られています。しかし、その船底には意外なものが積まれていました。例えば、ユニークな表情を持つ狛犬や、組み立て式の鳥居などです。
今回のゲスト、中森あゆみさん(明治大学獅子狛犬研究所の研究員)は、これらの狛犬について研究を続ける一方で、古代の衣服づくりにも関心を持ち、素材選びから織りまで実際に作りながら研究されています。
織物の始まり ~縄文時代のアンギン~
布を作る方法は、大きく分けて「編む」と「織る」の2種類があります。縄文時代にはまだ「織る」技術がなく、「編む」技法が使われていました。この時代の主流だったのが「アンギン(編布)」です。アンギンとは、編衣(あみぎぬ)に由来し、新潟県十日町周辺では今でも保存・伝承されています。
アンギンは、筵網機(むしろあみき)のような仕組みで、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を編み棒で絡ませながら作られました。現代の編み物と似た方法で布を作っていたことがわかります。
織機の発明と進化
紀元前560年頃になると、織機が登場し、「織る」技術が発展しました。ここで重要な役割を果たしたのが「綜絖(そうこう)」です。これは、経糸を前後させて、緯糸を通すための仕組みです。
弥生時代になると、「弥生機(やよいばた)」という腰機(こしばた)が登場しました。この織機は、地べたに座り、足と腰を使って経糸を張りながら布を織るものでした。この技術は、現代の沖縄の「伊波メンサー織」や、アイヌの「アットゥシ織」にも受け継がれています。
世界に広がる腰機(こしばた)
世界各地にも、同じような織りの技術が存在します。
- メキシコの腰機織: 丁寧に糸を拾いながら、美しい紋様を作る。
- 台湾の原住民の腰機: シンプルな仕組みだが、日本のアイヌ織と共通点が多い。
腰機織りの技術が発展し、「地機」が誕生すると、布の仕上がりが均一になり、織る作業がより簡単になりました。これにより、多くの人が織物を手軽に作れるようになり、日本各地で織物文化が広まる要因となりました。
高機(たかばた)への進化
地機がさらに進化し、「高機(たかばた)」が誕生しました。高機は、腰で経糸を引っ張るのではなく、重石をかけて張力を維持する仕組みです。これにより、織る作業を途中で休んでも再開しやすくなりました。
高機を利用すると、複雑な模様を織ることが可能になり、綜絖を何枚も使って足で操作することで、より高度なデザインが生み出されるようになりました。
空引機(そらひきばた)と棚機(たなばた)
高機の発展形として、「空引機(そらひきばた)」が登場しました。これは、2人で協力して織る機織り機で、上の人が経糸の上下を調整し、下の人が実際に織る仕組みです。
この技術は中国から日本へ伝わり、「棚機(たなばた)」という織機として発展しました。七夕信仰は、織物の上達を願うものとして広まり、その仕組みは、伝説の「織姫と彦星」が布を織る姿に重ねられています。
織物の機械化と現在
1801年には、フランスのジョゼフ・マリー・ジャカールが「ジャガード織機」を発明しました。この織機は、パンチカードを使い、自動的に模様を織ることができる画期的なものでした。
さらに、現代ではコンピューター制御の「自動織機」が登場し、緯糸を圧縮空気で飛ばすなど、効率的な生産が可能になっています。しかし、基本的な織物の原理は、弥生時代に発明された仕組みと変わっていません。
まとめ
布作りの歴史は、縄文時代の編布(アンギン)から始まり、弥生時代に織機が登場し、時代とともに進化してきました。現代の織機は機械化されていますが、根本の仕組みは変わらず、私たちは古代の知恵を受け継いでいるのです。
こうした歴史を知ることで、普段何気なく使っている布のありがたみを感じることができますね。中森さんの研究は、私たちにそんな大切な気づきを与えてくれます。
ゲストプロフィール
中森あゆみさん
明治大学 獅子・狛犬研究所 客員研究員。全国各地の狛犬の調査研究を行い、その多様な表情や地域性について研究を進めている。また、古代日本の繊維文化についても造詣が深く、特に絹・木綿以前の繊維素材や織物技術の研究にも取り組んでいる。
